【FERRARI創始者 エンツォ・フェラーリ】伝説の跳ね馬とともに過ごした、その波乱万丈な生涯とは?
フェラーリの魅力
フェラーリといえば、F355を思い浮かべます。
スタイリングといい、存在そのものがカッコイイですよね!
スーパーカーブームで育った私にとっては、決して手の届かない憧れのクルマです。
今回は誰もが憧れる世界の頂点にそびえ立つフェラーリの創始者、エンツォ・フェラーリ氏についてまとめてみたいと思います。
今回参考にさせていただいたのは「エンツォ・フェラーリ 全仕事」(マガジンボックス)というムック本です。
フェラーリ超初心者の私ですが、この本を元に勉強させていただきましたm(__)m
エンツォ・フェラーリ氏の生涯
子供時代
1897年、エンツォ・フェラーリはモデナ郊外で誕生しました。
子供の頃のエンツォには夢が3つありました。
- テノール歌手
- スポーツジャーナリスト
- レーシングドライバー
そして父に連れて行ってもらったレース観戦を機に、この内の「レーシングドライバーになる」という夢へと次第に傾倒していくのです。
青年期~20代から30代~
トラックのテストや陸送の仕事をしながらも、レーシングドライバーになるチャンスを伺っていたエンツォ。
ある時、CMN社(コストルツィオーニ・メカニケ・ナツィオーリ)という自動車メーカーの、テストドライバー兼レーシングドライバーというポジションを手に入れます。
エンツォはレースの世界で次々と頭角を現し快進撃を遂げます。
のちのアルファロメオとなる「アルファ社」に移籍したのもこの頃でした。
跳ね馬の称号
1923年、ラヴァンナでのレースで勝利した時のことです。
第一次世界大戦のイタリア空軍の英雄、バラッカの愛機には「跳ね馬」のマークが描かれていました。
バラッカはすでに戦死していましたが「レースの勝利に感動したバラッカの両親は、幸運と勝利のシンボルとして跳ね馬の紋章をエンツォに贈った」といわれています。
ここから「跳ね馬伝説」が始まるわけです。
フィアットから有能な技術者をアルファロメオに移籍させ、より戦闘力の高いレーシングカーの開発にも力を注ぎました。
レーサーの才能と共に、はからずともマネージメントの才覚も開花させようとしていたのです。
1925年にラウラと結婚。
そして1929年。
エンツォは「スクーデリア・フェラーリ」を設立します。
当時のスクーデリアはアルファ社のチューニングを手掛けつつも、レースのオーガナイズも受け持っていました。
1932年には待望の長男が誕生します。
これをきっかけに、エンツォはレーサーを引退し開発者へと立ち位置をシフトしていくのです。
中年期~40代から50代~
アルファ・ロメオ傘下に入り4年がたったころ、アルファ・ロメオと訣別するときがやってきます。
1939年のことでした。
「フェラーリという冠をつけた車は4年間製作しない」という契約のもと、AAC(アウト・アヴィオ・コストルツィオーニ)という会社を故郷のモデナで設立します。
そして1943年。
社名をAACから「フェラーリ社」(スクーデリア・フェラーリAAC)に変更しました。
この頃、フェラーリ第1号車の「フェラーリ125」が完成されるのです。
50代に入ってからは色んな意味で分岐点に差し掛かります。
先ず、英国シルバーストーンでフェラーリがアルファ・ロメオを破ります。
ここからフェラーリの天下が始まり、圧勝の歴戦を重ねることになります。
同時期に、悲しみも訪れます。
1955年6月。
最愛の息子ディーノが病に倒れ、帰らぬ人となってしまいます。
高年期 60代~70代
フェラーリは着々とレースで活躍していきます。
その知名度に目を付けた大フォードが、フェラーリの買収を試みます。
これはエンツォにとって反骨精神を生み出すきっかけになりました。
そして、エンツォとイタリアの威信を守るためにフィアットが動き出します。
1969年のことです。
フェラーリの株の半分をフィアットが引き受けました。
ディーノモデルなどの量産車の軌道を乗せたのも、フィアットのおかげと言えます。
晩年 80代~90代
日本でもスーパーカーブームが訪れ、子供たちを中心に多くの人がフェラーリの虜になっていきます。
エンツォが発案した最高性能のフェラーリ「F40」などは、多くの車隙を熱狂の渦に巻き込みました。
そして1988年8月。
エンツォ・フェラーリ訃報の知らせが届きます。
90歳の大往生でした。
愛息ディーノ
1932年1月。
ディーノ・フェラーリは誕生しました。
エンツォの父アルフレードというのが本名で、区別するためアルフレディーノ「ディーノ」と愛称されました。
デイーノも車に興味を抱き、愛車遍歴は「フィアット500トポリーノ」「フィアット1100TV」「フェラーリ166」など。
モデナの技術学校を卒業後、スイスに留学。
そこでの卒業論文はエンジンの設計でした。
エンツォの跡継ぎとして着々と準備をしていたのです。
順風満帆のように見えたのもつかの間・・・
1956年6月30日、帰らぬ人となります。
まとめ
フェラーリというクルマは良く知られていますが、創始者については今まで全く気にも留めていませんでした。
エンツォ氏の決して順風とは言えない波乱万丈な人生に驚きましたね。
そして多くの人を感動させる「最高の車を作る」ことに情熱を注いできたのですね。
それはレースの世界とも切っても切れないところにいたからに他なりません。
だからこそ、世界最高峰の車を今でも永続的に生産できてるのではないでしょうか。
エンツォ氏の哲学が脈々と継がれていてこその「最高のクルマ」というブランド。
「フェラーリ」という車が、世界最高峰であることは誰もが認めます。
だからこそ、日本の車メーカーのにも頑張ってほしい!
世界最高峰とまではいかないでも、世界の人々を魅了する車メーカーであってほしい!
最終的に、、、
そんな日本車への愛に立ち戻っていくフェラーリ考察でした(^。^)
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